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高松高等裁判所 昭和47年(行ス)1号 決定 1972年9月07日

抗告人(申立人) 浜本多恵子

相手方(被申立人) 徳島大学学長

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告人代理人は、「原判決を取消す。徳島大学学長が抗告人に対し昭和四七年三月二三日付でした徳島大学大学院医学研究科博士課程在学期間延長申請不許可処分の効力を徳島地方裁判所昭和四七年(行ウ)第二号行政処分取消請求事件の本案判決が確定するに至るまで停止する。」との判決を求め、その理由として主張するところは、原決定第二の項に主張するほか、別紙抗告理由書記載のとおりである。

二  そこで一件記録にもとづき検討するに、当裁判所の判断は、以下の説示を附加するほか、原決定第四の項とおおむね同一であるから、これをここに引用する。

(一)  先ず本件では、徳島大学学長が抗告人に対して昭和四七年三月二三日付でなした同大学大学院医学研究科博士課程在学期間の延長申請不許可処分の効力を仮に停止したとして、抗告人の大学院生としての身分が存続すると解しうるかの点を究明しなければならないところ、いうまでもなく抗告人の右博士課程への在学関係は、国の営造物利用の関係であつて、行政規則の一種である徳島大学大学院学則の規律を受け、その定めに従うことになるのである。

(二)  そこで在学に関する同大学院学則第二〇条第二項によると、「博士課程の最短在学年限は、三年(医学研究科にあつては四年)とする。ただし特別の事情がある場合は、更に三年(医学研究科にあつては四年)を限り在学を許可することがある。」と規定されているのであり、これは、大学院設置審査基準要項(昭和二七年一〇月一一日大学設置審議会決定)の関係事項に則つて制定されたものと解される。もとよりかかる在学期間の定めは教育の機会均等の見地と、利用者の相対的な利用目的達成に要すると目される期間を考慮しながら、その利用の時的限界を画するものと解される。そこで右条項の規定の趣旨を医学研究科所属の抗告人に則していえば、原則として四年間の在学が許容されるほか、特別の事情がある場合に在学期間の延長許可によつて更に最長四年間の在学が認められることになり、右延長の許可がないまま在学年限を経過すれば、特段の事情なき限り大学院生たる身分は当然に消滅するものと解するのが相当である。

(三)  この点について抗告人は、徳島大学学部や他の大学院における在学年限が最長在学年限の規律にとどまり、許可などの手続を要せずしてその間当然に在学しうるとしていることとの不均衡をいうが、前記大学院設置審査基準要項でもかかる相違を予想しているものとも解されるし、いずれにしても規定の文言に徴し、指摘の相違も前記解釈に消長を及ぼすものでないといわなければならない。

(四)  ただ徳島大学大学院学則第二八条により同大学学則が準用されるところ、同大学学則第二八条に「在学八年(医学部医学科学生は一二年)に及んでも、なお、所定の試験に合格しない者に対しては、学長は、これを除籍する。」旨の規定があるため、右規定の文言のみからは在学年限の経過のみでは大学院生たる身分は消滅しないのではないかとの疑義があるが、右条項の在学年数以上に在学が許される旨の規定のないこと、と前記第二〇条の規定に照らせば、右の除籍とは在学年限の経過による大学院生の身分の消滅を確認し、且つ学籍簿に外形上存する記載を消除する内部手続をなすことを意味し、右以上の意味を有しないものと解するのが相当である。

(五)  そうだとすると、特段の事情の認められない抗告人について延長申請の許可がないまま在学期間を経過したことにより大学院生たる身分は消滅したものと解するほかないというべく、在学期間の延長申請不許可処分(その性質論は措く)なるものの効力を停止したとしても、大学院生たる身分を当然に回復するものではない。

三  すると大学院生の身分の回復を前提とする抗告人の本件執行停止の申立は利益を欠くものというべく、同一の見地から右申立を却下した原決定は相当であつて、本件抗告は理由がない。

四  よつて本件抗告を棄却することとし、抗告費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 合田得太郎 谷本益繁 石田眞)

別紙

抗告理由書

第一原決定の違法性

原決定が抗告人の大学院在学期間延長不許可処分(以下本件処分ともいう)執行停止申立を却下した理由は、要するに徳島大学院学則(以下単に学則という)二〇条二項の定めからすると、抗告人は昭和四七年三月三一日の経過と共に大学院生たる地位を当然に喪失しており、本件処分の執行を停止したところで単に抗告人の在学期間延長申請がなされた状態に戻るにすぎないから、結局右申立の利益がないというにある。

しかし、原決定は学則二〇条二項の理解を誤まつているだけでなく、院生の在学期間延長申請それ自体に伴う利益(執行停止制度により保護を受けるべき利益)を看過している点で明らかに違法である。

第二学則二〇条二項の解釈

一 原決定は、学則二〇条二項につき「院生の在学年限を原則として四学年間とし、大学院の特殊性に鑑み特別の事情のある場合は、例外的に四年を限り延長を許可する旨定めたもの」と解し、但書の許可をいわゆる講学上の「許可」と把えているようである。

しかし、これは極めて皮層的且つ機械的な考え方であり次の理由により排斥されるべきである。

二 先ず、学則二〇条二項の本文、但書の規定を原決定の如く単純に原則例外の関係とみるのは誤まりである。

1 同規定は、いうまでもなく在学期間に関し院生と大学との間の権利義務を定めたものであるが、これが原決定の理解によると、院生の権利として認められる在学期間は原則として四年間に限られ、在学期間の延長は大学の一方的且つ恩恵的な判断に委ねられるにすぎないこととなる。

しかし、これでは院生の在学期間は、学部学生のそれ(徳大学則一四条、同一三条、同二八条)と比較して著しく保障を欠く結果となり、院生の自主的研究活動を阻害し、ひいては大学院の存在目的(学校教育法六五条、学則一条)にも反することになる。

大学院制度の充実発展をはかるためには院生の自主的研究を最大限に尊重し、研究の機会をできる限り保障することが必要である。

この点、原決定は学則二〇条二項の形式的理解に拘泥する余り、事柄の本質を見誤まつているといわなければならない。

2 又、学則二〇条二項本文は、あくまでも「最短在学年限」に関する定めである。

同規定を率直に読む限り、「院生の在学年限を原則として四年間とし」たものとはならない筈である。もし、そうであるならば、「最短」なる用語は全く不要である。しかし、学則制定者がそのような無意味な用語をわざわざとりつけたと考えることはできない。

この点につき、相手方は「在学年限を一応四年と定めている」などと故意に「最短」なる用語を無視し言葉を濁しているが(昭和四七年四月七日付意見書)、これは甚だ不正直な解釈態度という他ない。

すなわち、同規定が最短在学年限として四年と定めていることからすると、在学年限としては四年に限らないということになり、四年以上の在学期間の延長(更新)を当然のこととして認める趣旨を含むものとみなされるのである。

かく解してこそ、院生と学部学生との間でみられる一見不統一な在学期間に関する定めを多少なりとも調整することが可能であり、院生の自主的研究活動をできる限り尊重することになるのみならず、他大学院生との間にさしたる不均衡が生じることもなくなる。

このように、学則二〇条二項本文が在学期間の延長を当然のこととして前提している以上、院生は所定の在学期間経過後も当然に期間の更新が認められ、引き継いで院生たる身分を有していると考えることが合理的である。

ちなみに、他国立大学医学研究科院生の在学期間の定めを掲げると、

○大阪大学大学院学則(疎甲第一三号証)

修業年限として四年(六条二項)。

在学期間として六年を超えて在学ができない。但し特別の事情があるときは研究会委員会の議を経て在学の年限を延長することができる(二五条)。

○岡山大学大学院教程(疎甲第二八号証)

修業年限として四年(一二条)。

在学期間として八年を超えて在学することができない(右同)。

○金沢大学大学院教程(疎甲第二九号証)

岡山大学と同じ(八、九条)

○九州大学大学院医学研究科規則(疎甲第三〇号証)

修業年限として四年(二二条)

最長在学年限として八年(同)

○東京大学大学院学則(疎甲第三一号証)

修業年限として四年(六条三項)

在学年限として六年(二四条)

○京都大学通則(疎甲第三二号証)

在学年限として八年を超えることができない(四〇条)。

3 ところで、学則二〇条二項但書は、院生の在学期間の延長を大学の許可、不許可にかからしめ、大学に大幅な裁量権を認めるかの如き規定である。

現に、原決定は、このように但書を理解し例外的扱いが許されるのは大学院の特殊性に鑑み、特別の事情がある場合だけだと考えている。

しかし、同但書は基本的には最長在学年限を「更に四年」(合計八年)と限るとともに、期間の更新にあたり大学の意思を介在させることを認めた規定であると解するのが相当である。すなわち、学則二〇条二項本文により、院生は当然に在学期間の自動更新が認められるところ、同但書により更新期間は合計八年間に限られ、更に大学は在学期間の更新を特別の事情のある場合に限定し、特別の事情が認められない場合は不許可(これは更新拒絶処分である)にすることができると解されるのである。

これに対し、原決定は同但書の「許可」をいわゆる講学上の「許可」とし、院生に対して新たな利益を設定する処分と考えているが、院生の在学関係をこのような見方で規律することは、前項で述べたとおり、同本文の「最短在学年限」を定めた趣旨に反し、又院生の地位を学部学生及び他大学院生に比較して著しく不安定にするものであるのみならず、院生の自主的研究活動をそこなうおそれがあるのであつて不当である。

同但書の「許可」とは、要するに在学期間の更新の「確認」に他ならず、同但書に基く「不許可」とは「更新拒絶」である。

従つて、院生は所定の在学期間が経過しても合計八年間の範囲内では不許可処分(更新拒絶処分)を解除条件として、院生たる身分を有していると考えられるのである。

原決定は、「大学院の特殊性に鑑み」などともつともらしいことをいつているが、学部学生及び他の国立大学において特殊的でないことが徳大院生においてなにゆえに特殊性ありということになるのか。

原決定の誤まりは、大学が学則二〇条二項を形式的に適用し、抗告人を大学院から放逐しようとした企てに安易に追随した結果生じたものであり、これは大学院の精神ならびに実情から遠くかけはなれたところにあることを申し添えておく。

第三申立の利益について

一 さきに明らかにしたとおり、抗告人は所定の在学期間経過後も大学の不許可(更新拒絶)処分を解除条件として院生の身分を有していると解するのが相当であり、従つて、本件不許可処分の効力を停止することは暫定的に院生の身分を確認する意味で抗告人に利益であり、結局申立の利益が認められる。

二 仮りに、そのように言えないとしても、学則二〇条二項本文が在学期間の延長(更新)を当然の前提としていること、同但書が特別の事情があるときは在学期間の延長(更新)を許可すると定め、これは大学の恩恵によるものとは解されないこと、並びに学部学生及び他の国立大学院生の地位との比較等の関係からすると、少なくとも院生には在学期間延長(更新)許可を求める申請権が認められ、大学はこれに対し法的に応答する義務があると解することができる。

ところで、本件処分は抗告人が従来自由に行なつてきた研究室への出入り等を違法視するものであるから抗告人にとつて不利益な処分であり、現に大学は昭和四七年五月二四日付書面(疎甲第三三号証)をもつて抗告人に対し医学部薬理学教室への出入を禁止してきた。

しかし、抗告人は院生たる地位に基いて在学期間延長(更新)許可の申請権があるのであり、これに対し拒否、いずれかの処分がなされるまでは、これまでどおり研究室の出入等を行なつても住居侵入罪などの責任追及をされることはないという意味において、研究室にとどまることができると考えられ、本件処分の効力の停止はまさに抗告人に対して右の如き法的状態を回復させるものであるから、これを認める利益があるということができる。この点原決定は余り周到でもない学則の明文を偏重する余り、在学期間の経過=院生たる身分の消滅=申立の利益なしという単純な思考を重ね、抗告人の立場を著しく弱める結論に陥つているものである。

以上により原決定の取消を求める。

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